SS「GIFT~美羽から皆へ」

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諸事情により非公開にしていたSS、公開します。
自分の中での矢口美羽の最終章、という位置づけで書いた者の前半です。
よろしければ、ご一読下さい。

 10月の、紅や黄色の化粧をした校庭の木々を窓越しに眺めながら、少女は物憂げなため息を吐いていた。
 つい先ほどまで中で話をしていた職員室の戸を背に、少女は頭に浮かぶものを整理する。

『弓削、夏休み中のホームステイの結果を見させてもらったが、あれと今のお前の成績を合わせたら、ほぼ確実に留学の推薦は出せる。受ける学校が決まったら、すぐにでも推薦状を書いてやるぞ』

つい先ほど、担任の教師から判を押されたことを思い出す。手には推薦先の資料が握られていた。

海外の高校へ留学。前から考えていたことのはずで、行きたい学校だって、もう決まってるはずなのに。

外の景色をぼんやりと眺めながら、少女は自分に言い聞かせるように呟く。胸の中で、何かがつっかえているようで、どうしてもその場で返事が出せなかった。

♪ポピーポッピーピョーンピョン~

ふと、少女のポケットから電子音が響き渡る。少女はおもむろに携帯を取り出し、画面を開く。そして、すぐに目を細めてため息を吐いた。

「はあ、まったくもう美羽は……」

親友・矢口美羽から送られてきたメールを見て、少女は送り主の浮かれようを想像してぼやく。

『さっちゃーん、今日はCMの撮影だったんだー☆ビシッと決めて来たよ!
……なーんてね、実際は何度かリテイク食らっちゃって、てへ♪』

アイドルとしての親友の活動報告。最早これはさっちゃんこと弓削五月にとっては、美羽からの日課のようなものになっていた。活動の本当に些細なことまで報告してくるそれは、最初のころに比べたら、格段と失敗の報告が減り、着実に彼女の成長を表しているように、五月には感じられた。
しかし、メールの後半に綴られたミスの報告はいただけない。五月の指は無意識に美羽への小言を打っていた。
うーん、これだと美羽でも凹むだろうな、と苦笑しながら、メールの文面を消していく。携帯のボタンを再び押していき、消していく。そんなことをしばらく続けて、五月はわずかに顔を歪ませる。

「やっぱり、心配だなあ……」

何度打っても美羽への小言になってしまう。それを自覚した五月は、改めて自分が美羽の今後を案じていたことに気付いた。

『よーしみんな!夏休み、隅から隅まで楽しみつくしちゃおうね!』

いつも明るく、常にみんなが楽しそうにしているのが大好きだった美羽。

『さっちゃーん!夏休みの宿題が終わらないよー!』

だけどどこか抜けていて、特に学校の宿題やテストはフォローが欠かせなかった美羽。

『エヘヘ、さっちゃん。わたし事務所受かったよ!そこのプロデューサーさん、わたしの意気込み、すっごく真面目に聴いてくれたんだ!』

反応が純粋で、猜疑心が全く感じられなくて、だからこそ、悪い大人に引っかからないか心配だった美羽。

五月には、そのどれもがまっすぐで、楽しくて、純粋に映った。だからこそ、心配だった。絶対できる、そう美羽の背中を押したのは他でもない自分たちだったのにと五月は振り返る。

そして、その心配は、今でも続いている。

「アイドルになってもこれだし……どこか抜けているというか、危なっかしいと言うか」

アイドルになってからの美羽のメールを思い出すと、彼女の前向きな文面の中に挟まれる失敗の報告が頭から離れない。メールでは前向きに打っており、些細なことから感じられる嬉しさを話しているが、ほぼ毎回つづられていた失敗の報告は、美羽が幾度となくつまづいてきたことを如実に示していた。

それでも、そんな事ぐらいでへこたれる様な人間ではない。そのことは、長い付き合いの五月にはよくわかっていた。事実、「一生懸命なところが可愛い」とファンからはあの姿勢は好評だともメールで知らされていた。
しかし、いくら一生懸命さを評価されていたとしても、このまますべり続けていては、いつか彼女は笑いものになってしまうのではないか。

『さっちゃん。わたしね、みんなに笑っていてほしいんだけど、でも笑い者にはなりたくないんだ。だってそれって、楽しくて笑ってるんじゃないかなって思うから』

前に、美羽がオフの日、一緒に遊んだ時の帰りに、自分にだけ打ち明けてくれたことを、五月は思い出す。その時の美羽の表情も、はっきりと覚えている。いつものおどけた笑顔ではない、真剣なまなざしだった。

美羽の本心からのファンへ向けた思いを、理解しているのは自分だけ。五月はそう思っていた。事実、ステージ上の美羽は、絶対に悩みや思い詰めた様子を見せてはいなかった。そのような状況の中、美羽を置いて海外へ行く事に、五月は強く後ろ髪を引かれるように感じられたのだった。

「……っ、と」

五月が携帯の画面から目を離すと、無意識に下駄箱まで歩いていたことに気付く。既に夕焼けが差しており、静寂と合わさって、強く、自分の足を止める匂いがするように、五月には感じられた。

この時の五月には、この足を引き留めるような感覚が、美羽を置いて行けない、という想いから来るものだとのみ感じていた。


都内某所のアイドル事務所では、矢口美羽がテーブルに置いた「進路報告書」と書かれた紙切れを睨みつけていた。
右手に携えたシャープペンシルは、空を書くばかりで肝心の紙にそのペン先はなかなか付かない。それが、美羽の頭で書く事が定まっていないことを雄弁に語っていた。

「進路、かあ……」

はあ、とため息を吐き、美羽は報告書を眺める。それでも、結局書く事はまとまりそうもなかった。
らちが明かないので、ポケットから携帯を取り出し、メール画面を開く。昨日貰ったメールが、美羽の胸に引っかかっていた。

「さっちゃん……」

CMの撮影を終えた後、メールを送ったらほどなくして返ってきたメール。そこには、成功を喜んでくれるのと同時に、卒業後の進路について考えた方がいい、という忠告も込められていた。
当たり前のように、アイドルを続けようと考えていた美羽にとっては、進路、というものを考えることがすっかり抜けていたことに、五月からのメールで彼女は感じていた。

「とはいえ、これはメールにしては長すぎるよね……」

美羽がメール画面をスクロールさせてもさせても終わることのないメールに、美羽は苦笑いする。そこには、進路を決めることの重要性、将来を見据えた学校選び、そのために何をしなければならないか、といったことを始め、五月から美羽への忠告とも提言とも取れる言伝がびっしりと刻まれていた。何かと面倒を見てもらった身として、美羽は五月には頭が上がらないと同時に、過剰ではあるが自分を思っての気遣いに、感謝していた。

そして、それ以上に、美羽には五月の進路が気になって仕方なかった。

「前までは留学するってずっと言ってたのに……」

その後送ったメールへの返信を見て、美羽は怪訝そうに眉をひそめる。

『わかんない。正直、海外へ行くんだったら、ホームステイとかの短期留学でもなんとかなるしさ。それより美羽の方こそ、ちゃんと将来見据えた高校選びしなよ。条件とか言ってくれたら、アタシも探すの協力するからさ』

五月らしくない。最初にメールを見た時に、美羽はそう感じた。

「わたしと違って、さっちゃんは将来の夢、一度も変わったことないのになあ……」

子供の頃から、ずっと世界中の人を繋ぐCAになりたい、そう言っていた五月は、美羽の憧れでもあった。将来の夢がはっきり決まっていて、その夢のためのビジョンもしっかりと組み立てていて、自分とは全然違う。美羽は、そんなしっかり者の五月に学校でも特に助けてもらっていた。

そして、アイドルになる時も。

『アイドル、美羽なら絶対なれるよ!応援してるから!』

アイドルになる、それを最初に話したのは彼女で、最初に応援してくれたのも彼女だ。

『合格!?やったじゃん!ってことは、アタシが美羽の最初のファンってわけだね!』

わたしの……最初のファン。そう言って、自分の事いつも支えてくれた五月が、自分の事も、周りの事も、しっかり見ている五月が、美羽にはとても眩しかった。

だからこそ、何故この段階で、ずっと夢に突き進んできた彼女が、それを迷っているのか。
それが、美羽の中で引っかかって仕方がなかった。
美羽が悶々となっている中、事務所の扉が開く。

「おはようございま……って美羽、随分と早いなー」

事務所へ入ってきた美羽の担当プロデューサーが感心して美羽に声を掛けるが、美羽は全く気付いていないのか、振り向きすらせず唸っている。
その様子に彼も何かを察したのか、美羽の死角から彼女にコソコソと近寄る。美羽のトレードマークたるお団子と彼の鼻が触れそうなぐらいの距離まで忍び寄る。

そこで彼はおもむろに封筒を取り出し、それで美羽の肩をポンポンと叩いた。

「ひゃあああっ!?な、ななななんですか!?」

思考が完全に目の前の事でいっぱいだった美羽は、突然の不意打ちにだらしない悲鳴を上げながら跳ね上がる。首が千切れそうな勢いで辺りをきょろきょろと見回し、元々大きい目がミミズクのように見開かれていた。

「ナイスリアクション。これの送り主にも見せてやりたいな」

狼狽しきった美羽とは対照的に、落ち着きのある声でプロデューサーはくすっと笑う。ようやく美羽も彼が来たことに気付き、そして自分がまた醜態をさらしたことにも気付く。

「あ、あはは……朝っぱらから随分と見苦しいものを……おはようございます、プロデューサーさん」
「おう、おはよう。で、こんな朝早くから何をしてるんだ?昨日の仕事の反省でも?」

恥ずかしさが込み上げてきた美羽は、目線を泳がせて照れ笑いを浮かべる。さっきの狼狽えたオーバーリアクションもさることながら、今の恥じらう表情も先ほどのギャップも相まって、実に見ごたえがあると彼はニヤニヤしながら思っていた。この短時間でくるくると変わる表情が、プロデューサーは気に入っていた。

「あー、いえ、それはないこともないこともないですけどね。ちょっと学校の事で悩んでまして」
「つまり反省はしていないんだな……まあそれはいい。よくないが」

苦笑いを浮かべる美羽をしり目に、プロデューサーはデスクに鞄を置く。彼が自分の方を向いてから、美羽は歯切れ悪く口を開いた。

「卒業後の進路、を書く事になってるんですけど……どうもそれが上手くいかなくて」
「ほう、珍しいな。アイドルやりつつ進学、だとばかり思っていたが」
「うーん、だとは思うんですけど具体的にどの学校に行くか、とか決まってないし……それに、」
「それに?」

美羽の目が、一瞬だけ手元の携帯電話に移る。すぐにプロデューサーへ目線を戻し、物憂げな声で続けた。

「わたしの友達も……その、ずっと前から夢がはっきりしてた子なんですけど、最近になって夢が揺らいでるみたいなんです。メールでもわたしの心配ばかりするようになってしまって」


言い終えると、美羽はまた目線を携帯電話にやる。その話を聴いたプロデューサーも、黙っていた。
いつもならば、美羽みたいな手のかかる友達を置いて行くのが心配なんじゃないか、といった軽口の一つでも叩くところだった。だが、美羽の口調が重苦しく、今携帯電話を見つめる目線も、不安とはどこか違った愁いを帯びていた。
そこまで深刻に悩んでいる少女に、そんな軽い言葉を叩けるほど、プロデューサーも無神経な男ではなかった。

「もしかして……わたしがいつまでたっても失敗が多いことで、心配になっているんでしょうか?小さい頃からずっと、わたしのこと、色々支えてくれた子なので」
「……かもしれないな。その子も美羽も、きっと優しいからそう感じるんだろう」

深刻な表情のままに尋ねる美羽に、プロデューサーはなるべく彼女を傷つけないような言葉を選ぶ。

「優しい、か。へへ、ありがとうございます。何か友達のこと褒められると、胸がほっこりとします。でも……もしわたしの事が心配なら、とにかく成功してるわたしを、たくさん見せないと、ですね」

美羽がくるっといつもの笑顔を見せる。さっきまで場が重くなるほど沈痛な空気を見せていたというのに、相変わらずクルクルと表情も空気も変える、とプロデューサーは感心したように唸る。

「ああ、それでこそアイドル矢口美羽だ。調子戻ったついでに、お前宛に来ていたファンレターも読んで行くといい。景気づけになるだろう」
「わあっ、ファンレター来ていたんですね!ありがとうございます!どれだけアイドル続けていても、やっぱりファンレターは嬉しいですね」

プロデューサーから差し出されたファンレターをにこやかに受け取ると、美羽は早速それの封を丁寧に切る。ソファに腰かけることも忘れ、すっかり手紙に夢中になっていた。
しかし、美羽の目が文面を追っていくにつれて、受け取った時の浮かれた様子が少しずつ薄れて行くのを、プロデューサーは彼女の様子から感じた。小刻みに揺れていた彼女の身体は次第に動きを止め、浮ついていた目元も少しずつ締まっていた。

「どうした?冷やかしの手紙とかだったのか?」

思い切って、プロデューサーは美羽に尋ねる。

「え?ああ、いや、そういうわけじゃないです。むしろわたしのこと、すっごく応援してくれてるお手紙でしたよ!」

彼の問いを、美羽は手をわざとらしく大振りにして否定した。口元は笑ってはいたが、目線は少し泳いでいた。

「そうか……なら、そんなファンの応援に今日もしっかり応えて行かないとな」

口ではそうは言ったものの、プロデューサーは美羽の挙動に妙な違和感を感じていた。元々、最初にオーディションで出会った時から、何か失敗したり微妙な空気になった時も、彼女は絶対に笑っていた。今の美羽の笑顔は、そんな時の表情そのものだった。
だが、彼女の口から否定の答えが出た以上、それ以上の詮索は無意味だと彼も悟っていた。

「はい、任せてください!今日はビシッと決めますから!」
「ああ、期待しているぞ」

両手でガッツポーズを作り、勇ましく啖呵を切る美羽を見て、プロデューサーはしかめていた顔をそっと緩めた。先ほど感じた違和感が、杞憂に終わると信じて。


その日の仕事は、故郷・千葉の名店のロケ、地域住民との交友を映す番組だ。美羽以外にも、今まで多くのアイドル達が自分の故郷のロケをしてきたのを美羽は知っていた。この千葉でも、場所は別だが色々なアイドルが魅力的に地域を紹介していた。
そして何より、久々のファンの人との直接的なふれあいのできる仕事だ。気合が入らないわけがない。ロケバスの中で身体をせわしなく揺らしている様からも、美羽のやる気が見て取れた。

現地に着くや否や、バスから弾け飛ぶように美羽が駆けだす。ピョンピョン跳ねてトレードマークのお団子が元気に弾む。その様子を、カメラはしっかり収めていた。

「あーーーーっ!すっごくワクワクします!ふるさと千葉!普段なら学校に行ったり遊んだり買い物行ったり、そんな感じなんですけど……お仕事ってなると新鮮です!ワクワクです!」
「元気がいいねえ美羽ちゃん。こりゃ今日の撮影も面白くなりそうだ」

面白い、とADの人から期待を掛けられ、美羽はますます浮かれて飛び跳ねる。本当に朝感じた違和感が、まるで嘘のようにプロデューサーは美羽を見ていた。

「そりゃもう、お仕事決まった時からまだかまだかと待ち焦がれてましたから!だから、そのタメにタメたワクワクを、今日は思いっきり振りまいちゃいますから!」

腕を目いっぱい伸ばし、美羽はADに自分の活力を存分に見せつける。彼女のやる気に応えるように、日差しも照り付ける。これは、いい番組になりそうだと、プロデューサーも、ADも、スタッフも期待が各々の顔に出ていた。


収録が始まってからの矢口美羽は、カメラが追うのがやっとなほどに、あちこちを駆け回り動きまくりなロケを展開した。

「じゃーんっ!この駄菓子屋さんは私が子供のころからお世話になってるんですけど!なんと!ピーナッツが売ってるんです!って、今でもわたしは子供でしたね、テヘ」

地元の駄菓子屋にスポットを当てると、ノックしなくても気付くほどに大きく響き渡る声で店を紹介し、

「このケーキ屋さん、わたしの誕生日にはいつもケーキを買いに来ていたんです!もうほっぺたが落ちるほど甘くておいしくて……わたしはこのケーキに育てられた!と言ってもいいほどですよ~」

舌に味を記憶するほど、誕生日ケーキを作ってくれた洋菓子屋では、顔をほころばせ、頬を赤らめて、しみじみと語るように思い出話に花を咲かせ、

「そしてこの道!ここはサイクリングロードです!友達と小さいころから何度も遊んだんです!季節によって全然違う姿になるし、自転車をまっすぐばびゅーん!って漕げるしすごーく爽快ですよ!」

お気に入りのサイクリングロードに着けば、そのど真ん中に立ち、その場でくるくる回り、飛び跳ね、その広い道を目いっぱい満喫していた。

その行った先々では、全身で自分たちを紹介してくれる美羽を見て、少し照れくさく笑う人たちが出迎えてくれた。最初はべた褒めの美羽に少し気恥しかったのか、マシンガンのように褒め言葉を畳みかける美羽を抑えようとしたが、嘘偽りのない美羽の目を見て、皆恥ずかしさが取れて、嬉しそうに笑っていた。

「おお美羽ちゃん、うちの店を紹介してくれるとは光栄だねえ。それじゃ今日は一つ、サービスしちゃおうかねぇ」
「わぁ!ありがとうおばあちゃん!エヘヘー、それじゃあカメラ廻ってるけど、この場でいただきまーす!」

駄菓子屋の老婆からは、ピーナッツを貰い、

「美羽ちゃんに紹介してもらえてウチの店も幸せだわ。今度帰ってくるとき、お祝いのスペシャルケーキ用意しておくね」
「ほんと!?やったぁ!へへっ、そのケーキは、いつかみんなにも紹介するので、またのお楽しみに!」

ケーキ屋のお姉さんからは、新作ケーキを約束されていた。

初日の締めくくりは、ショッピングモールの特設ホールで行われる握手会とミニライブだった。
初めてのソロステージで着た思い出深いヴァンパイアモチーフの衣装で、千葉まで追いかけてくれたファンに、地元の美羽見たさに集まった人たちから、美羽はエールを受け取る。

「今日の歌も楽しみにしてます!いっぱい笑って笑わせてください!」
「エヘヘ、ありがとうございます!貰った分の元気、しっかり返すからね!」

「同郷と知って感動しました!美羽ちゃんのグッズコンプしてるんで、これからもガンガン活躍してください!」
「わっ、地元さんなんだ!へへ、地元パワーに負けないくらい、頑張るからね!」

「夢破れてから、美羽ちゃんの元気な姿で癒されました。美羽ちゃんが輝くことが今や俺の夢なんです!」
「あ、ありがとうございます!わたしが夢、かあ……なら、それはきっと楽しい夢にして見せます!」

思い思いの応援に、美羽は一人一人にエールを送る。元々ファンの事が大好きな美羽にとっては、このファンと直接言葉を交わし、触れ合うことのできる握手会は彼女の活力を漲らせるにはうってつけであった。
『美羽命』と書かれた鉢巻きや法被に身を包んだファンや、以前に出してもらったグッズを体中に取り付けてるファン、他にも自作の応援グッズをひっさげているファンなども見かけた。その誰もが、美羽に対して並々ならぬ熱意のこもったエールを送っていた。
何百人と言う握手を経て、手が少し腫れてきても、美羽はファンの応援と、自分を見る熱い視線に気が行っており、痛みは全く気になっていなかった。


 その日の仕事をすべて終え、帰りのバスに揺られながら、美羽は外を眺めていた。その様子をプロデューサーも眺めていたが、それも目に入っていないようで、彼の方を見向きもしない。しかし、何かを凝視している、という風にも見えなかった。

(美羽が黙って空を眺めるなんて意外だな……いつもはこっちが聞き飽きるほどに仕事の話するのに)

美羽が作る沈黙に耐えられず、それを破ったのはプロデューサーだった。

「なあ美羽」
「へ?あ、は、はいっ!」

ワンテンポ遅れての返事。ビクン、と美羽の小柄な体がわずかに跳ねた。

「お前が仕事の後に上の空なんて意外だな、って思ってさ。どうしたんだ?沈黙苦手なのに」

彼が比較的やさしめな口調で尋ねる。美羽は、それを受けて僅かに顔を俯かせ、少しの間沈黙を作り、顔を上げた。

「プロデューサーさんにはかなわないですね。少し考え事、していまして」
「俺でよければ相談に乗るぞ」
「ありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えて、プロデューサーさんに一つ、質問です」

人差し指をぴんと伸ばし、美羽はプロデューサーの顔を見る。少し目を閉じ、意を決したように口を開いた。

「アイドルって、何のためにあるんだと思いますか?」


予想もつかない質問を受けて、プロデューサーと美羽の間に、沈黙が立ち込める。ハトが豆鉄砲を食らったような顔で美羽を見て、彼は思考をなんとか落ち着かせる。そして整理がついたのか、平静を表情に取り戻して答えを返す。

「そりゃ、ファンに元気を届けて、楽しんでもらうためだろう。少なくともお前は。前に自分で言ったじゃないか」

美羽の過去の発言を思い出し、今までの活動を思い出しながら、彼は整然と語る。しかし、美羽の表情から険しさは削げてなかった。

「そう、ですね。そうだといいんですけど」
「……何が言いたい?」

歯切れの悪い美羽から、本心を引き出す必要を感じたプロデューサーは、美羽の話の続きを待つ。バスの揺れがわずかに強まったからか、あるいは彼女の内心からか、小柄な体がカクンと揺れる。

「わたし、思うんです。最近のわたしは……みんなに元気や笑いを届けて、夢を届けているんだと思っていた。でもそうじゃなくて……夢を奪ってるんじゃないかって」
「……なぜ、そう思ったんだ?」
「今日の握手会やライブで、いつも応援してくれるファンの人や、地元の応援してくれる皆さんを間近に見て、そう思ったんです。その中には、自分の夢が叶わなかった中でわたしを見て、今はそのわたしの活躍が夢になっているんだとか」
「お前がその人の毎日の希望になっているなら、それは悪い事じゃないんじゃないか?」

プロデューサーも今日の彼女の仕事風景を思い出す。彼女のイベントにはほとんど顔を出している熱狂的なファンも大勢いた。そのうちの1人がそんなことを言っていたような気がしたのは、おぼろげながら彼の記憶にも焼き付いていた。

「うぐ、そ、それはそうなんですけど……でも、本当はもっと素敵な夢があったはずなのに、それがわたしになっちゃっていいのかな、って思うんですよ。それに……」
「それに?」

じっと自分を見るプロデューサーに対し、美羽は少し遠慮がちに目を伏せる。そして、意を決したかのようにすうっと息を吸い込んで、はあっと吐き出した。

「わたしは……矢口美羽は、みんなの夢を背負えるような、そんな凄いアイドルじゃないですし、それがやりたいこと、ってわけでもないです。アイドル目指す時から今の今までずっと、大好きなみんなが応援してくれたから、その温かいパワーで元気と笑いを届けることができた、それだけなんです」
「担当してるプロデューサーとしては、大いに反論したいところだが……そいつらの夢にはなれる器じゃないから、奪ってると言いたいのか?」

内に湧きあがった気持ちを表には出さず、彼は美羽に静かに問いかける。美羽は、ゆっくりとその問いに頷いた。

「はい。それに……今朝、わたしの親友の話をしましたよね?彼女の夢も、わたしが奪ってる、そう感じたんです」
「その子も、お前の成長が夢になっているのか?」
「いえ、そこまでは……でも、最近のあの子がわたしを凄く心配してくれて、世話を焼いてくれてるのだって、あの子の夢の邪魔になっているから……それじゃ、奪ってるのと同じだなって」

バスに揺られながら、言い終えた美羽はまた目線を下に落としていた。それを聴いていたプロデューサーは、話の整理に取り掛かる。

アイドルは、今を生きる人たちに明日を生きる希望を与えるもの。プロデューサーも、事務所もそう考えている。

だが、その希望がアイドルという名の偶像に現実から逃避するものだとしたら。

美羽本人は認めないだろうが、彼女の言っていることはそういうことだろうと彼には思えた。

(それはそいつらが決める事であって、他人がとやかく言うべきことではないんだが……夢になる気はないのに、その気にさせるのは忍びない、ってか。なんだかんだ義理堅いんだな、美羽は)

ふと美羽を見てみると、少し縮こまっているのか、身体をきゅっと丸めている。バスの揺れに合わせて身体も揺れている。
その様子を見て、ふっと軽く笑うと、プロデューサーは美羽に穏やかな口調で問いかけた。

「なあ美羽。お前は、どうしたいんだ?」
「え?」

意外な問い。来ると思われた反論は来ない。
身構えていた美羽は、思わぬ返しに呆けた声を上げる。

「いや、お前を取り巻くファンや友達の事は分かったんだが……そいつらに対して、お前は何をしてやりたいんだ?まさか彼女らにそれをやめて欲しいわけではないだろう?」
「そ、それはそうです。むしろわたしとしてはとてもありがたいですし……むむむ」

僅かに唸りながら、美羽は手を顎に乗せて悩みの態勢に入る。背後の車窓に映る、目まぐるしく変化していく景色のように、美羽の脳裏に様々な思い出が過っていく。

(みんなを笑わせたくて、楽しんで欲しくて……わたしの歌も、お仕事も、全部そのためだった……)

自分の元気いっぱいの歌で盛り上がり、熱狂的な笑顔を届けてくれたファンのみんな。滑ったトークに恥ずかしそうにする自分に温かい応援をくれたファンのみんな。その反応や笑顔に包まれた会場の空気は、美羽の胸にいつも満たされる温もりをくれた。だからこそ、美羽はファンが、楽しそうにしてくれるのを見るのが大好きだった。

(そう、それはわたしが、みんなが楽しそうにしてる姿を見るのが、大好きだったから。アイドルになる前から、ずっと)

アイドルになる前、クラスのムードメーカーと呼ばれていた時の事を振り返る。他愛のない会話やリアクションで、周りが明るくなった時が嬉しかった。偶に微妙な空気にしたときが気まずかった。でも、そのどちらを含めてもその中心には美羽がいて、だから美羽はムードメーカーだったんだよ、と、五月は言ってくれたのだ。
今だったら、それが何でだったか分かる。美羽がみんなの楽しそうな姿を見ているのが好きだったから、自分でその好きな空気にしたい、と思ってやったのだ。

(アイドルになってもそれは変わらなかったんだけど……でも、だとしたら、楽しそうにしているなら……それが夢を奪う、なんてなんで思ったんだろう)

美羽の思考が壁にぶつかる。誰かの夢を担える存在ではない。だが、たとえそうだとしても、その誰かが楽しそうにしていて、それを美羽が見られるなら、自分はそれでいいのではないか。

(ううん、そしたらさっちゃんはどうなるの?さっちゃんのやりたいこと、邪魔してまでまだ背中を押してもらうなんて……)

そこへ、親友の姿が、クラスメイトの姿が脳裏に映る。今から1年前、丁度背中を押されたあの時の事を。

『みんな、ちょっと仮定の話なんだけど、もしわたしがアイドル目指すって言ったらどう思うかな?』
『マジで!?美羽、マジでアイドル目指すの!?』
『凄い…凄いよ美羽!美羽なら絶対なれるよ!』
『矢口、アイドルになるのか?すげえ!』
『やれるって矢口なら!ここでも人気あるんだし!』

絶対なれる、その応援があったからこそ、自分はアイドル事務所の門を叩いたのだ。

(きっと、みんなが応援してくれなければ、私はアイドルになろうとすら思わなかった。憧れだけで終わってた。憧れを現実にしてくれたのは……紛れもなく、背中を押してくれた大切な友達!)

背中を押してくれた、だからこそ憧れは現実になった。

頑張る元気を、勇気をもらった。

合格したとき、あまりに嬉しくて何通もメールを送った時の事を思い出した。

だから、憧れを現実に変える勇気を、持ってほしい。
そして、叶えた時の嬉しさを、自分に元気をくれたみんなにも感じてほしい。

(そっか……今のわたし、こんなに、みんなにして欲しいこと、あったんだ……)

美羽は、顎に当てていた手をそっと膝元に置いた。そして傾けていた首を、向かい合うプロデューサーに、まっすぐに向ける。
彼に映る美羽の目には、もう迷いはなかった。

「わたしは……」

丁度、バスが信号に差し掛かり、車窓からの景色がぴたりを流れを止めた。

「みんなの背中を、押したいです。わたしが、そうしてもらったように」


翌日、早朝の事務所には美羽の姿だけがあった。誰よりも早く事務所に上がりこんだ彼女は、眠そうに大きくあくびをしながら、何かを待つようにソファでそわそわしていた。

「おはようございまーす……って美羽、今日もいの一番か、早いな」
「ふああ~……あ、プ、プロデューサーさん、おはようございます!」

美羽が腕をグイッと伸ばし、全開となった口から出たあくびとともに、待ち人たるプロデューサーが事務所の門をくぐった。

「うう……昨日に続き今日もみっともないところを……もうお嫁に行けません」
「なんか……すまん」

顔を赤らめ、涙目で美羽はプロデューサーから目をそらす。目に浮かんだ滴はあくびのせいかそうでないのか、状況が状況だから判断できずにプロデューサーはただ謝るしかなかった。

「と、とにかく気を取り直して!プロデューサーさん、わたし、昨日徹夜で考えました!みんなの背中を押す方法!」
「それで眠くてあくびが止まらなかったんだな……では、聞くとしよう」

本当はアイドルの資本たる美容の大敵だから注意すべきなのだろうが。ファンのためになると頑張りすぎるところは相変わらずだなとプロデューサーは苦笑いを浮かべる。

「それは……ズバリ、歌です!それも、わたし自身の歌!」

人差し指をビシッと突き立てて、美羽が力を込めて宣言した。

「お前にしてはえらくストレートに出たな。お前自身の歌……とは?」

プロデューサーが聞き返すと、美羽は胸に手を当ててはきはきと答える。

「はい、今まで先生たちから頂いた歌ではなく、わたしが自分で歌を作って、それを今度のライブで披露したいんです!」
「ほう、お前自身が歌を……って何!?」

美羽の言葉を飲みこむと、彼の頭に驚きが追って襲い掛かる。目を丸くして彼女を見ると、美羽の目はいつになく真剣になっていた。

「凄く身の程知らずな事言ってることは分かってます。でも、みんなに応援してもらって、背中を押してもらったわたしが、今度はみんなの背中を押したいと思った。この気持ちは、わたし自身の言葉で伝えないと意味がないって思ったんです。誰かから借りた言葉じゃなくて」

美羽の話を、プロデューサーは適度に相槌を打ちながら、黙って聞く。美羽は、彼の反応を見つつ、話を続けた。

「それなら、歌じゃなくても、雑誌の記事で伝えるとか、トークで伝えるとか、ライブのMCで伝えるとか色々あると思ったんですけど、文字で伝えるよりも、直接、私自身の口で伝えた方がいいと思ったし……それにわたしのトークとかMCは、わたしの思いを伝えるためのものというよりは、みんなに笑ってもらう、楽しんでもらうためのものだから。少なくとも「アイドル矢口美羽」のトークは、そういう物だと思うから」

自分の今までやってきたことを振り返りながら、美羽は話を続ける。自分が大切にしてきたことを、頭に浮かべながら。

「でも、歌は、それらとは全く違った力があるって、今までを振り返ると感じたんです。元気な歌、しんみりするバラード、盛り上がるポップス、熱いロック、曲によって色んな感じ方があるけど、そのどれにも共通しているのが、「この歌に、わたしはこんな気持ちを込めているんだ」ってことがあるってこと。楽しんでもらうだけじゃない、元気な歌でわたしは元気になれる、だからみんなにもその気持ちを感じてほしい。バラードは胸がきゅっとなる、その締め付けられるような気持ちを感じてほしい。そんな風に。以前のわたしは、そんな歌の力を信じ切れていませんでした。でも、色んな歌で色んな感じ方がある、色んな楽しみ方がある、楽しませ方がある。全力でやれば、きっと自分の思いは伝わる。それを、このアイドル活動を通して、わたしは知ることができました」

そっと目を閉じて、美羽は脳裏に駆け出し時代から今に至るまでを振り返る。

楽しんでもらえているか不安で、バラードなのに間奏で変顔をするなどやらかして怒られたこと。

色っぽく、おしとやかな浴衣姿の写真集が、ファンやクラスメートに「色っぽくて素敵」と、「面白い」とは別の楽しみ方をしてくれたことを知ったこと。

お客さんに呼び掛けてレスポンスを貰う、ファンと作るステージを確立した時、人を楽しませるのは笑いの力だけじゃないと知れたこと。

ウケを狙って奇を衒った格好で行くか悩んだが、ストレートな衣装で、自分のやりたかった、全力で歌い踊り、楽しむことで、みんなが楽しんでくれたのを感じられたこと。

その全てが、今は無駄じゃなかった。人に比べたらずいぶん遠回りしてしまったようには感じたが、美羽は、きっとこれこそが自分なんだと感じていた。いつも憧れている理想とは違った方向へ進んでいたが、その度体当たりで軌道を変え、その違った方向でも何かを得て、その結果、今、色んなことを知ることができた。歌についても、楽しい、だけじゃない色々な気持ちを伝えるためのもの。

「それを知ることができたからこそ、わたしは歌で伝えたいんです。みんなにも、背中を押されて夢を叶えられることが、とっても嬉しくて、楽しい事なんだって。そのために、自分の歌で背中を押したいって……わたしは、誰かの背中を押すことができるから、大丈夫だ、って」
「……そういうことか。きっとそれは、ファンのためもあるだろうけど、一番は……」

微かに笑みを浮かべ、プロデューサーは美羽に問いかける。美羽も見透かされたようで照れくさそうに笑う。

「へへ、そうです。一番は、わたしの背中を押してくれて、今なおわたしを心配してくれている、親友のための歌を、作りたいんです。アイドルとしては、失格かもしれませんが」
「ま、アイドルはファンのみんなに夢を与える存在だからなあ」

肩をすくめるプロデューサーを前にしても、美羽は引かずに切り返す。

「でも、わたしがアイドルになりたいって言った時、背中を押してくれたのは彼女でした。彼女だけじゃない、学校の友達みんな。きっとみんながいなければ、わたしはアイドルになるなんて夢は憧れで終わってました。でも、そんな友達が、今自分の進路で悩んでいるんです、わたしを気遣って」

携帯電話が入ったポケットに目をやり、美羽はすぐに彼に向き直る。

「だったら、あの時応援してくれた、背中を押してくれた人たちの背中を、今度は自分が押したい。いつも失敗ばかりでへっぽこアイドルとしてのイメージさえ付いてしまってる自分だけど、「わたしは大丈夫」と立派な姿を見せて、親友を安心させたい、彼女の夢を追ってほしいんです」

美羽は言い終わるや否や、今度は机に広げられたファンレターを抱える。

「でも、アイドルになれた後、わたしが今までこうしてアイドル続けていられるのは、わたしを支えてくれる人たち、応援してくれる人たちのおかげってことも知ってます。でも、わたしはその人たちの夢そのものにはなれません。だけど……夢を叶えた時の嬉しさを知っている。夢を叶えるため、背中を押してくれたことで持てた勇気を知っている。だから、それを伝えたいんです。ファンのみんなには!」
「友には自分の雄姿を、ファンには自分の勇気を伝えたいのか……ずいぶん大きく出たなこれは」

皮肉めいた口調でプロデューサーは美羽に返す。美羽に映る彼の表情は、とても面白い思いをした男の顔だった。美羽は、それを見て何故だか嬉しくなった。

「へへへ、わたし、自分でも信じられないくらい、欲張りさんだなって思います。でも、それが今までわたしをここまで来させてくれた人へ贈ることのできる、わたしのできる限りの贈り物だと思うんです。だから、お願いしますプロデューサーさん!わたしに……そのチャンスをください!」

美羽は勢いよく彼に頭を下げる。彼としては、とっくにその話を付けに行くつもりではあったものの、目の前で自分に頭を下げる担当アイドルに目を丸くしていた。
しかし、その真意をすぐに理解して、彼はまたフフッと笑った。

(親しき仲にも礼儀あり、ってことだな。だから俺は、こいつの願いを叶えたくなるんだ)

お辞儀でくっきりと見えるお団子を見つめながら、彼はすっと手を伸ばした。

どんな時でも挨拶を忘れない。

どんな小さな頼みでも、礼節を以て頼み込む。

どんな些細な粗相でも、誠意をこめてお詫びを入れる。

これも紛れもない、アイドル矢口美羽の一つの顔だった。

当然、彼の腹は決まっていた。

「勿論だ。そこまで頼まれたなら、しくじるわけにはいかないしな。さあ、顔をあげるんだ」

ポンポンと、柔らかいお団子頭をなでながら、彼は二つ返事で美羽の願いを聞き入れた。美羽が顔をあげる直前、少し彼の顔が緩んだのに気づく者はいなかった。

「あ、ありがとうございます!本当に、プロデューサーさんはいつも私の願いを叶えてくれて、感謝感激雨矢口です!」
「ははは、なんだそりゃ、てか雨降っちゃダメだろ」
「あ、そうですね、あはは」

感激のあまり、思いつきと勢いのフレーズを発する美羽に、プロデューサーも首を高くして笑う。

「大丈夫さ。お前は行く先々でもそうやって礼儀正しくいろんな人に尽くしてきた。だから作曲家の先生も、作詞家の先生も、振り付け師の先生も、お前に協力してくれるさ」
「え、でも今回はわたしが作るんじゃ……」
「まあ落ち着け。今の美羽はまだ右も左もわからん状態だろう。だからプロに基礎は叩き込んでもらわなきゃな。まあ時間も限られてるだろうから、その間で教えられることは絞られるだろうが。それに、その間はメディアへの露出もそんなにできないだろう。本当にいいものを作りたいなら、それに集中するべきだからな」

慌てる美羽に、プロデューサーは諭すように説明する。きっと一人でやらせたら、頑張りすぎてしまうことを十分に彼は熟知していた。

「そ、そうですね。はい、それじゃあ早速、先生方にお願いをしに行きましょう!」
「ああ、まずはアポ取ってからな。それまでちょっと待っててくれ」

言い終えると、プロデューサーは自分のデスクから名刺を探し、受話器を取る。美羽はそんなきびきび動くアイドルとしての師匠の姿を、顔をほころばせて眺めていた。

(プロデューサーさん……わたし、ファンのみんなやさっちゃんたちだけじゃなくて、この歌は貴方にも届けたいと思ってるんですよ。きっと自分の思いを届けるものを自分で作って、それがみんなに伝わることが……アイドル矢口美羽のトップとしての姿だと思うから。その時……貴方の夢がかなうって思うんです)

デビューが決まった日、彼と誓ったことを思い出しながら、美羽はバッグから小さなティアラを取り出す。目の前のファンからもらった、最初のプレゼントを。

『これはな、デビューが決まったアイドルに送る最初の贈り物だ。俺はお前の目指すトップアイドルになるためなら、どんな手助けもする。このティアラが似合うような、な』

お姫さまティアラ、と呼ばれたその小さなティアラ。その時彼が語った夢。
自分がトップアイドルになる、ということ。
おそらくそれは、この仕事を成し遂げた時、見えてくる。美羽には、そのように感じられたのだ。

(絶対に、この思いを乗せる歌を作って……みんなに届けます。わたしの気持ちを!)

ティアラを頭に乗せて、美羽は胸の前で腕をきゅっと握りしめながら、心に誓いを立てた。

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